樹木がすくすくと生長する季節になりました。
ということは、虫たちもすくすく育つ時期でもあります。
2012-6-2 ツツジを食べるルリチュウレンジ
これはまだかわいいものです。むしゃむしゃ食べてます。
こちらは団体さん。集まってむしゃむしゃと。
数が多いと大分印象が変わります。
こちらは巨体です。体長10cmくらいだったでしょうか。悠然と歩いてました。
1匹でも大きいものはやはりインパクトがあります。
虫が居たらどうするか?、その前にどう思うか?など虫に対する考えは人それぞれだと思います。
一般的には、居たらいやだという嫌悪感、居たらとにかく消毒(この言葉にも問題がありますが)、と言った感じでしょうか。
ここで樹木医として、またお庭に関することを仕事としている者として、考えをまとめておきたいと思います。
私は基本的にはちょっとくらい虫が居てもいいんじゃないか、という考えです。
虫がいたらどうするか、を判断するには2つの基準があります。
1.樹木(草花などお庭の植物全体ですが)にとってどうか
2.人にとってどうか
ということです。
1.は樹木にどれくらい影響ががあるか、ですが、虫や菌類(ウィルスなども含め病気と呼ばれるものです)くらいではそうそうは枯れてしまうような害はありません。
分かりやすく人間に例える(これも難しいことなのですが)と、ちょっとケガをしたりカゼをひくようなものです。
なので、樹木自体にエネルギーがあれば跳ね飛ばせるし、少々悪くなっても回復できます。
ただもちろん例外もあって、その場合注意が必要です。
・弱っている時や、苗木に近いような若木、移植した直後などに、葉を全部食べられてしまう等の状態になる
・一年に複数回、葉を全部食べられてしまう
・幹の樹皮あたりを一周ぐるりと食べられてしまう(カミキリムシなど)
・一気に枯れてしまうような特殊な病気にかかる(マツノマダラカミキリ⇒マツノザイセンチュウ病、カシノナガキクイムシ⇒ナラ枯れ病、など)
状態によってはちょっとしたケガやカゼが致命傷になったり、急に重病になったり、急所をやられてしまう、などというケースもある、ということです。
これらが分かっていたら、葉にイモムシがいて、ちょっと食べているくらいは樹木にとってはどうということはない、ということが分かります。
2.は虫がいることによって、または虫が食べたり病気で色が変わったりしたことを、人がどう感じるか、です。
不快害虫という言葉がある通り、姿を見るだけで気持ち悪い・怖い・苦手、といった虫自体の外見について視覚で感じること。
または虫に触ることによって、痛い・かゆいといった触覚で感じること(チャドクガやイラガなどのドクガ類)。
視覚についてはもう一つ、葉が無くなったり、色・形が変わったり、一部枯れ枝になったり、樹木の外見が変わってしまうことについて感じること。
これらがどこまで許容できるかによって、虫への対処が変わるでしょう。
虫が居るのがいやだったり、痛い・かゆいは困る、虫食いの葉はよろしくない、大切な樹木の姿が変わっては困る、といった場合は除去するしかないでしょう。
でもちょっとくらい居ても、葉を食われても構わない、食べるために鳥が寄ってきてくれるだろう、成虫になったらキレイなアゲハチョウが見られる、なんて考えの場合は、少々見逃してもいいのではないでしょうか。
私は本当のところはできれば殺したくないなと思っています。
生物多様性のため、なんてことも少しはありますが、虫とはいえ生きているものを殺すのは忍びない、ということです。
彼ら(彼女ら)もただ産まれてきて、お腹が減ったのでむしゃむしゃ食べている、といっただけのことです。
とはいえ自分が食べていくために殺生は仕方ないのと同じく、お客さんのためには虫退治もしなければ仕事にならないので、ごめんなさいと思いながら除去しています。
私があまり良くないと思うのは、とにかく居たら何も考えず排除!と言うような、”白か黒か”とか、”0か1か”のような二者択一のような考え方です。
物事は、シンプルで分かりやすいほうがいいのは確かですが、世の中そう簡単には出来ていません。
とは言っても、私も蚊がいたら反射的にパチンと叩きますし、お客さんには虫は殺虫剤でシューとしたら簡単です、などと言っています。
でもたまにはじっくり考えるとこういうことになりますし、自分の思想を忘れてはいけないなと思います。
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しかし”イモムシ”をネタにしただけでこんなに長文になるので、なかなか更新できないのですね。ちょっと反省です。
でも参考書的な本にしても、口頭で伝えるにしても、簡潔に短いものしか読んでもらえなかったり、聞いてもらえなかったりするので、考えたりまとめたりする訓練としては長くても仕方ない、と自己弁護しておきます。